【正観音・聖観音・観世音菩薩 第1回】中村創と考える

※本文は神仏家である中村創が箱根で行ったセミナー語った実際の会話記録を基に、構成/編集されております。  これを神霊世界の構造から申し上げます。観望星口薩の次元分解ということですが、菩薩という言葉は霊界に出てくる言葉であり まして、霊界といっても、神霊界というふうに考えますと、神の世界ではない、中村創はそう考えます。要するに 心の世界です。「神界は 感覚で、霊界は心で、現世は肉体の世界である」と。神儒仏といいますが、神界、霊界、 現実界というのが、神道、仏教、儒教と大きく路れるわけです。にょ  中村創個人の見解ですが 四次元というのは心の世界です。ですから、如来というのは何か。「如は如にして如の 如く、如から来るから如来」だというような言葉がありますが、「如くやってくる」とい うことは、人に合わせて、現世に合わせて出てくる、ということです。人間の心の世界が あって、その心の世界が、ある程度悟りを開いた方というのは菩薩になるわけで、その菩 薩というのは境地です。  中村創が思うには この菩薩が、いかなる時であっても愛を失わず、いかなる時であっても平常心を持って、 どういう境地でも信仰力というか、自分の人生観に狂いがないという時に、如来になる。 これについて『法華経』を見てみますと、如来の境地に立って自在に説法を行うという ようなことが『如来寿量品』に書いてありますけれど、如来というのはそういうことな のであって、人に説法とか教えを出そうと思ったら、自分の境地がグラグラしていたら、 人様に教えなんかできません。いくら説法しようと思っても、自分自身が極まっていなけ れば人様に教えなんかできないですね。少なくとも、人に自由自在に法を取り次ぎ、教え を出そうと思ったら、ある程度、境地に定まりがなければダメです。そういうのを如来と いいます。  その如来から上の部分こそが、まさにその定まった境地が神の如く清浄で、人間離れを している。菅原道真公とか明治陛下などもそうです。そのように、人でありながら内面 性が神様の如くになったら、初めて神界に入るわけでありまして、その感覚、感性という ものが上がっていくわけです。 講演:中村創 制作:中村創、有限会社bee 調査:中村創、武田弥一(中村創の弟子にあたります)

Powered by RSSリスティング